「君は編集者じゃない」「存在感が薄い」に向き合った人の1年
「君は編集者じゃないよ」
「佐藤くんはさあ、編集者じゃないよね。全然なりきれていないよ」
数年前に上司からこう言われたことがある。
この言葉と向き合いながら、これまでの期間を(なりきれていない)編集者として走ってきた。
ぼくは編集者には向いていないと思いつつ、また、ネットでの発信にも性格や体質(?)が合っていないと感じつつ、なんとか走りきることができた。
2017年は、300以上の記事を企画・編集(執筆は数本)。できなかったこともあるが、できたことも非常に多かった。うれしいこともあったが、くやしいことが多々。年末に「あ〜よく悩んだな、考えたな」と思った1年だった。
2017年、編集者としては量も質も大事にしてなんとか走り終えた感覚。数えてみたら300記事以上を担当していて、それぞれの書き手の方がもつ専門知や見ている現場の話を最大限伝えるにはどうしたらいいかを悩み考え続けた年でもあった。来年もゆるくありつつ、執念をもってルールを飛び越えていきたい。
— 佐藤慶一 Keiichi Sato (@k_sato_oo) 2017年12月31日
ぼくに近い人は知っているけれど、ふだん食欲がなく、基本的に甘いものを食べて生活している。以下、2017年を振り返るつもりだが、ちょいちょい甘いものの写真が本文を邪魔してくるかもしれない。

2017年に意識していたこと
いちばん意識していたのは、先にも触れた量と質。月20(年240)記事くらいの企画・編集をなんとなくの目安にしていたつもりでいたが、それを上回る量になっていた。
そのほかには、ざっくり以下のあたりを気にしていたと思う。
・アーカイブとして残る決定版をつくる
ネットにおけるコンテンツ消費の早さには以前からどうにか対抗できないかと思っていたが、いまだに答えが出ないところ。
ニュースに対応する記事も多く担当したが、アーカイブというか決定版となるようなものをしっかりつくることも意識していた。必然的に原稿の文字数も多めになっている。
(例)
・当たり前(そもそも)を疑う
ネットに残る記事として意味のあるものとは何かを考えていると、ここにも行き着いた。読んだ後に「風景が変わる」ような記事をどんどん出していきたい。
(例)

・同世代と一緒に発信する
これに関しては、2017年後半くらいから意識していたので、これから本気で取り組みたい領域。社会問題からインターネット、エモめな文章まで掲載した。
いまでは同世代の方々の思いが乗った原稿を読み、発信できるのは大きなやりがいのひとつになっている。
(例)
昨年から準備していて新年一発目に出した以下の記事も大きな反響があってよかった。
・編集者としてジャンルを横断する
これは自分の強みでもあり弱みでもあるところ。得意分野や専門領域がないため(泣けますが……)、興味をもった分野や書き手の方にどんどんお願いするように心がけている。
これによって、編集者としては知らないことや驚くような情報に日々接することができる。とても刺激的である。
以上のようなことを主に意識していた。
ただ、媒体の特性もあり、何かを問うたり、危機を煽ったりすることも多いので、もう少しポジティブな切り口やあたたかい読後感のあるものを増やしたい。今後の大きな課題かもしれない。

「最近すっかり存在感薄いよね」
「編集者は黒子」という言葉が嫌いだ。
こういう出版社で言い伝えられていそうな言葉って、けっこうたくさんある。こういう言葉で自分を守ったり肯定したりする人も多くいて、そういう人には憧れることがない。
黒子しか選択肢がないのは窮屈だし、バランスが悪い。できるなら、伝統的な編集者とは違う役回りやふるまいをしたい。
化石のような、都市伝説のような、よくわからない言葉には常に立ち向かいたいと思っている。それでも、編集者をしていると、黒子になりがちである。
仲のいい同業者との飲み会で「佐藤くんって、最近すっかり存在感なくなったよね」と言われたことがある(最近では「年取ったね」とも言われることが増えた)。ドキッとした。その通りである。本音を言い合える数少ない人たちに感謝申し上げたい(その代わり、ぼくもトゲのある言葉を言うことがある笑)。
たしかに昔(といっても3〜4年前だが)、国内外のメディアを調査したり取材したりして、メディアの世界の最前線を発信していたころは、業界の人にはよく名前を知ってもらえていた。このブログ「メディアの輪郭」もぼくの存在を多くの人につなげてくれた、ひとつの大事な場であった。
個の時代とはこういうことか。発信の可能性の大きさを感じた時期でもあった。
「いつも見てますよ」
「めっちゃ参考にしてます」
「どうやって情報収集してるんですか?」
「こんどイベント出てよ、講演してよ」……
なんて言われることもたびたび。個として発信していたことで、メディアにくわしい若者として知られ、かけがえない経験が多くできた。
そのころと比べると、存在感は薄くなっている気がする。やっていることや考えていることが外に伝わりづらい気がする。
「編集者として」どう存在感を出していくのか、2018年以降の課題にしたい。存在感を出す前に、基礎的な力をつけなければいけないのは言うまでもないが……。

そもそも、なんでメディアにかかわっているの?と聞かれることがよくある。新潟県の佐渡島というド田舎からひょっこりでてきて、編集者になった。
自分の幼少期から編集者になるまでの思考や経験については、『dm』というリトルプレスに数万字くらい綴ったことがある。
田舎出身であること、国際関係や途上国に関心を持ったこと、非営利団体(NPO)にコミットしていたこと、そうした要素を悩み考えたときに、延長線としてたまたま編集者という仕事があった。
もともとメディアの世界に関心がなかったし、視界にも入らない仕事だったので、業界(に身を置くとよく耳にする)の内側の論理や言葉にはまったく興味がない。
メディアや編集者のあり方に、ほとんどこだわりもないので致命的だが、それがぼくらしさでもあるのかもしれない。
メディアに関する専門性は、「若くてメディアにくわしいヤツ」というわかりやすいレッテルを生み出した。その恩恵はいまでも受けている。
ただ、別にメディアが好きなわけでも、メディアにくわしくなりたいというわけでもない。メディアは媒体・媒介であり、あくまで手段。紙やウェブに限らず、かたちのないものでもいい。
メディアになりうるものは暮らしにたくさん溶け込んでいる。食べ物でもいいし、お店でもいいし、人だってメディアだ。それでもいまは、ウェブメディアの編集者として情報の媒介や発信にかかわっている。(『dm』No.02より)
学生時代に非営利メディア「greenz.jp」でインターンをしていたときに、「ニッチナンバーワンになれ!」という言葉をもらったことがある。「メディアの輪郭」を必死に更新していたころは、だいぶこの言葉に意識的だったように思う。
メディアにくわしいことはいまでも武器になることがあって、ブログをやっていてよかった瞬間でもある。それでも、それ以外には武器がない手ぶら編集者なので、どうにかしなければ、と思う。
ぼくは、恥ずかしがりだし、負けず嫌いだし、あまのじゃくだ。
人と会ったり喋ったり飲み会に参加したりすることが苦手だし、編集者としてはヤバいなと思う。基本的に眠そうだし、ゆるすぎるので、それは人としてどうかしている気がする。がんばろう。

超えられない、敵わない人たち
いま働いている「現代ビジネス」という媒体には、書籍や雑誌など紙媒体で長い経験を積んだ、どうやっても超えられないような編集者が集まっている。
「なんで佐藤くんのようなネットメディアの最前線を知っている人が、現代ビジネスなの?」と問われることもけっこうあるけれど、理由は人しかない。
仕事ぶりを見るだけで、感じるだけで、敵わないなあと思う人がいる。パワー(?)も技術もものすごいから、焦る焦る。
どうしたら編集者として超えられるか、負けない力をつけることができるか、自分の価値は何か。そうしたことを日々考えさせられる場所である。
だから、量も質も自然と意識し、ジャンルも横断的にならざるをえない。ミーハーでありあまのじゃくであるのは、自分のよさのひとつなのだろう。全方位からモチベートされる職場はほんとうに刺激的でおもしろい。

2018年に意識したいこと
2018年、意識したいことややりたいことはいくつもある。
当たり前のことを当たり前にやる。
自分の直感や違和感に忠実に動く。
選択と集中と言わずぜんぶをやる。
同世代や年下の方々ともっと一緒に発信したい。
あとはやっぱり、本をつくりたい(これだ!という企画はたくさんメモ帳にあるが、自分の力不足や環境のせいにしてしまってなかなか実現していない。とてもくやしい)。
と、言いつついまから進めても2018年内にかたちになるのはむずかしそうだ。それでももがいてみようと思う。
ふだんとても静かでぼそぼそ喋り、ひたすら眠そうにしているぼくが熱をもって働ける環境で、もう少し試したいし試されたい。健康はだいぶ犠牲にしているけれど……。
そうそう、冒頭の言葉から数年が経った昨年、同じ人からまた言葉をもらったのを覚えている。
「佐藤くんは編集者として成長したと思う。自分でもわかるでしょ?」

完成物でなくプロセスを売ろう――「コミュニティ」はメディアとエンタメ不況を救えるか
「『良いものをつくれば売れる(読まれる)』という時代が終わり、読者・ユーザーに『どう届けるか』という"コミュニケーションを編集する力"が問われる」
メディア関係者であれば手に取った方もいるかもしれない、雑誌『編集会議』の「編集2.0」特集扉ページでこのようなことが書かれていました。これからの編集とはどういうものなのかが、いろんな方の視点で語られていました。
濃いファンに濃い場所で濃いコンテンツを届ける
このなかでまず気になるのは、「読者・ユーザー」という言葉。これがまさに延々と語られてきた紙とWebの違いでしょう。紙媒体(有料パッケージ)の場合は基本的に対象が読者だったのに対し、Web(無料かつアンバンドル)では純粋な読者もいれば数え切れないほどのユーザーもいます。
コンテンツをどんどん消費してくれる人がいれば、大量のPVを獲得し広告による収益化を行うことが普通だと思います。その一方で、純粋な読者や熱烈なファンがいるのであれば、無料コンテンツに触れるだけでなく、もっと深い部分でつながりコミュニケーションを交わすことで、そこを収益化のポイントにできそうです。
つまり、濃いファンには濃い場所で濃いコンテンツやそこから生まれるコミュニケーションを提供することで、コンテンツの金額を引き上げることが可能になるのかもしれません。
クリエイターとファンの1対1の関係がコンテンツ価格を上げる

以前、コルク代表の佐渡島庸平さんに同じく代表を務めるマグネットについて取材した際、作家とファンが1対1の関係でつながることができれば、コンテンツの価格を上げることができると語っていました。顔が見え、近く、温度のある関係は、コンテンツが無料で買いたたかれるなかでひとつの足がかりとなりそうです。
「インターネットの一番の強みは人と人を瞬間的につなぐところ」と佐渡島氏。作家とファンが1対1の関係でつながれるとしたら、コンテンツの価格は上がるのではないかという。
「売り場に並べて勝負するのではなく、ファンと直接つながり、手渡しするような関係で売る。でも、そういうコンテンツの発表の場や売り場がないから、マグネットが作るのです。ぼくが代表を務めている『コルク』の社名の由来は、ワインのコルクのように、(作品を)世界に運び、後世に残すこと。ワインって、『だれ』が『いつ』つくったのかという中身によって値段が決まるんです。同じように、コンテンツの値段も、『だれ』が『いつ』作ったのかによって、決まるようにしたい」(佐渡島氏)
佐渡島さんは特集「編集2.0」のトップに登場。これからの編集を考えるキーワードとして「コミュニティ」を挙げていました。コミュニティをつくった先にはなにがあるのでしょうか。
コミュニティ内の熱量が上がるほど、自然とお金を払わないと得られないようなものが求められる。そのため、満足度に応じて課金をしていくシステムをつくっています。(43ページ)
作品外のところで、作品を楽しんでもらう仕組みをつくることが、これからのモデルとして必要なのだと思います(44ページ)
コミュニティをつくり、コンテンツによってコミュニケーションを活性化させることで、一段とコミュニティの熱量が高まる。そういうサイクルがエンタメ業界全体の光になるのかもしれません。
「体験価値をサービスとして提供する編集力が必要」
コミュニティといえば、オンラインサロンプラットホームのシナプスは注目のプレイヤーです。メディアやコンテンツ、広くエンタメ業界がどんどん目を向け、利用するようになると思います。

シナプス代表・田村健太郎さんに取材させていただいたことがあるのですが、次のような発言が印象に残っています。
「広く支持されるコンテンツと、熱心なファンが求めるものは必ずしも一致しない」
「一対多から多対多の関係性に移行しているサロンはうまくいっています。主宰者からの一方的な情報を受け取るのではなく、同じ関心をもつユーザー同士で集まってオフ会や勉強会を開いたり、いっしょに事業を興したり、仲間づくりができる場にお金を支払うという感覚がカギではないでしょうか」
「少人数向け有料サロンは、良質なコンテンツづくりと収益化の両立を実現する」---シナプス代表・田村健太郎氏に聞く、体験型コンテンツ消費の可能性と課題
シナプスは『編集会議』にも登場していますが、COO/プロデューサーの稲着達也さんの発言は「コピー可能なパッケージコンテンツの価格は、限りなくゼロに近づいていきます」などパンチラインが多く一読することをおすすめします。
「良質なコンテンツをつくれる人はたくさんいますが、コンテンツを一つのパッケージとして捉えるのはもう古い。一方向的な視聴で完結するパッケージコンテンツではなく、コミュニティなどを通じて生まれるインタラクションまで含めた一連の体験価値をサービスとして提供する。そうした編集力こそが、必要なのではないかと考えています」(54ページ)
完成物の販売から「プロセスの販売」へ
個人的にコミュニティというのは、コンテンツ業界によくあるアウトプット重視を解消してくれるのではないかと期待しています。つまり、出版であれば本という完成されたアウトプットを商品として売っていますが、「プロセスを売る」ことへの転換が求められるのです。
2015年5月に発売された講談社のノンフィクション誌『G2』最終号に寄稿した際、以下のようなことを書きました。
紙媒体では、いったんブランドづくりに成功すれば、コアなファンが生まれ購読に結びついていたが、これからは完成されたプロダクト(雑誌)を受け取る前後のコミュニケーションの重要性が増していく。
「コミュニケーションを消費するためにコンテンツを消費する」かたちが拡大していくとすれば、多様なコミュニケーションを楽しむためには多様なコンテンツが必要になる。つまり、コンテンツの作り手にとっては絶好の機会でもあるのだ。(中略)コミュニケーション消費にヒントを求めるならば、読者をコンテンツの完成まで巻き込むことが必要ではないだろうか。
コンテンツの作り方が変わると同時に、お金の回り方も変わるべきでしょう。出版不況のなかでは、広告も販売も厳しいなかで、原稿料という謝礼のかたちも変化すべきだと思っています。
紙媒体では原稿を書いてからお金が入り、Webメディアのアドセンスなどの広告であれば1ページ分(PVに応じた)金額が支払われる−−。そういった従来のモデルはいずれ崩れていくと思います。
以前、下北沢B&Bで開催された「若手編集者たちが語る“編集者2.0”」 というイベントに登壇した、もっと「余白」にお金が払われる仕組みが必要になる、とコメントしました。オンラインサロンであれば、原稿を書いていないときにお金が入る環境が生まれ得るので、ジャーナリストによる活用も今後増えていくと思います(すでに作家の猪瀬直樹さんらがシナプスを利用しています)。
最適化・効率化よりも手間暇や泥臭さが大切?
そんなシナプスは、2015年10月から独自のプラットホームでの展開を進めていくとのことでした。フェイスブックグループと違いさまざまなデータを取れることで、コミュニティの熱量や盛り上がりなどがロジカルに把握できるようになると思うととても楽しみです。
また、「月次流通総額は2000万円を突破、運営するサロンの種類も政治やスポーツ、エンタメなど100件を超えた」とTHE BRIDGEで報じられています。ジャンルを横断できるプラットホームのため、展開の可能性が未知数で、今後もどんどん伸びていくでしょう。
サロン主宰者といっしょにコンテンツやコミュニケーションを設計する仕事はまさにこれからの編集者の役割です。「プロセスを売る」ことについて言及しましたが、インターネットやWebサービスは最適化・効率化・省略の文化を浸透させ、暮らしを便利にしてきましたが、コンテンツに関しては豊かな状態をなかなか生み出せていません。
これからはもっと手間暇かけたり、泥臭い地道なコンテンツづくりが求められ、その受け皿としてコミュニティの必要性が生まれているのです。コミュニティを主戦場にする編集者には、体験や熱量、感情など目に見えないものまで編集の対象になり得るでしょう。改めてシナプスなどのオンラインサロン=コミュニティには、「編集2.0」のひとつのあり方があると思いました。
日本上陸が発表された「バズフィード」ってどんなメディア? 特徴や強みをスライド100枚で知る
月間2億人以上が訪問する米国のニュースサイト「バズフィード」が、日本向けに創刊されるそうです。タッグを組むのはヤフージャパン。
- BuzzFeedとヤフー、「BuzzFeed Japan」を設立今冬、日本向けBuzzFeedを創刊 / プレスルーム - ヤフー株式会社
- BuzzFeed Partners With Yahoo! JAPAN
報道やまとめ記事などを配信するだけでなく、「広告の領域においても、ソーシャルメディアへの最適化とテクノロジーに基づいたコンテンツ重視の制作方針を明確にし、新しい広告のあり方を提唱しています」という、バズフィードのあり方は魅力的です。
今回は「バズフィードって、どんなメディアなの?」という人のために、過去につくった2つのスライドを共有します。合計100ページを超えていますが、参考になれば嬉しいです。すでに知っている方は、復習にお使いください。
BuzzFeedとUpworthyのこれまでと現在からみるバイラル/キュレーションメディア
バズフィードはなにがすごいのか? 海外における新興・大手メディアの現状比較
プラットフォーム優位の時代、コンテンツ側はどう考えればよいのか?
川上量生さんが書かれた『鈴木さんにも分かるネットの未来』(岩波新書)を読みました。この本はネットとはなにか、その真の姿や未来について書かれたもの。特に印象的だったのは、コンテンツ側がいかにプラットフォーム側と付き合っていくのかという点です(ほかにもテレビの未来やビットコイン、人工知能などについても述べられています)。
ネットのムーブメントも”まだ”テレビが起こす
まず前提として、ネット時代には紙媒体と違い、制作から流通までのすべてのプロセスを持つことができなくなりました。端的に、流通部分におけるネットやプラットフォームの影響力が大きくなってきたからです。
ネットで従来のマスメディアのビジネスが危機を迎えている根本的な理由は、独占していた情報の流通経路がネット企業に奪われ、情報の発信者としては個人とすら競争しなければいけないという完全自由競争のなかに放り込まれたからです(47ページ)
それでもSNSなどのプラットフォームやネットメディアは、プロモーション媒体としてまだマスメディアに負けているようです。本書では「Facebook発のヒット商品とかブームとかが生まれにくい、プロモーション媒体になりにくい」とも書かれており、いまだにマスメディアが重要だとしています。
ネットメディアにおいても口コミを喚起するための正当な宣伝手法はマスメディアを使うことなのです。そしてネットには、まだテレビほどの巨大な影響力のあるマスメディア的なものは存在していないのです。これが、いまだにネットのムーブメントを起こすのにもテレビがもっとも重要なメディアである理由ですし、また、テレビをまったく見ないような若い世代に対してはなかなか有効なプロモーション方法が存在しない理由です(62ページ)
コンテンツの価格は「依存度」で決まる
また、ネットコンテンツ無料論にも触れられています。川上さんは「複製費用が無料だからではなく、ネット利用者間においてコンテンツが無料になるのはいいことだという素朴な価値観が存在する」と指摘しています。では、どのようにネット上におけるコンテンツの価値や値段は規定されるのか。
納得度が高かった文章のひとつに、「コンテンツの価格は人間が持つそのコンテンツへの依存度で決まる」というものがありました。つまり、フリーミアムモデルであれば、無料コンテンツで顧客との接点を増やし、徐々に生活での依存度を高めたところで課金してもらう。ソーシャルゲームやニコニコ動画、クックパッドなどを考えてみても、「依存度」との表現は腑に落ちました。
そこでこのエントリーで紹介したい、コンテンツとプラットフォームの関係について入っていきます。本書ではプラットフォームの役割を「形のないデジタルの世界でコンテンツをどのようにつくっていったらいいのか、その仕組み(フォーマット)を提供する」と表現し、具体的な役割として、ビジネスモデルの提供、ユーザベースの提供、プロモーション手段の提供、コンテンツの枠組み(フォーマット)の定義、コンテンツの品質の管理の5つを挙げています。
ネット時代、手離れの悪い地道な客商売が大切
現在の(ウェブ)コンテンツを考えるうえでは、アップルやアマゾン、グーグル、フェイスブックなどのプラットフォームの優位性について考えなければいけません。要するに、コンテンツ側がプラットフォーム側に搾取されないためには、どのような考えや戦略を持っておけばよいのか。
コンテンツをつくらないというのは、プラットフォームにとっては楽をする戦略であるともいえます。また、プラットフォームが並立している場合にはプラットフォーム間の競争のためにコンテンツが販促手段として犠牲にされがちな構造が先のようにあるわけです。ですからぼくは、コンテンツはつくらないと宣言するプラットフォームがフェアであるとも責任ある態度だとも思いません。任天堂やソニー・コンピュータエンタテインメントのように自らもコンテンツをつくり、コンテンツから利益をあげる家庭用ゲーム機のようなプラットフォームが、実はコンテンツが儲かる仕組みが維持されて、コンテンツのクリエイターにとって幸せな環境ではないかと思うのです(110ページ)
川上さんはプラットフォーム提供者がコンテンツもつくるモデルがクリエイターにとってよいのではないかと述べています。さらには「ネット時代のクリエイターだったり出版社だったりは、コンテンツ自体を独立したプラットフォームとして設計しなければいけない」「顧客接点の死守が重要なポイント」という言葉もあります。
プラットフォームが決めるレベニューシェアの比率や広告料金、そして規約などの変更。これらの主導権を握られていては、収益をあげることがむずかしい状況です。どのようにしてプラットフォームの協力を得ずにメディアを運営し、コンテンツをつくり広げていくのか。要するに、コンテンツ側がプラットフォームに依存せず、顧客に関するデータなどの情報を持つことが重要になるのです。
ネット版のファンクラブをつくって会員限定のサービスをすればいい、という提案もされています。「大量複製して大量販売するだけのコンテンツ側にとって夢のような黄金時代は終わって、ネット時代には昔のように手離れの悪い地道な客商売が大切になるのです」。まさに読者のコミュニティや読者とのコミュニケーションを意識したメディア設計がますます必要になってくるのではないでしょうか。コンテンツという言葉が連発してしまいましたが、『コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと』(NHK出版新書)もたくさんの発見がある本でした。
文章が書けない理由は「遅い」「まとまらない」「伝わらない」――ナタリーに学ぶ、"完読される"ライティング術
「書くことはあとからでも教えられるが、好きになることは教えられない」
とても久々にライティングの本を読みました。手に取ったのは『新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング』。著者はナタリー運営のナターシャ取締役の唐木元さん。コミックナタリーやおやつナタリー(現在は終了)、ナタリーストアなどを編集長として立ち上げ、現在はメディア全体のプロデュースを担当されています。
「書くことはあとからでも教えられるが、好きになることは教えられない」というナタリーの採用ポリシーがあることから、ライティングや記者経験のない人も多くいるのだとか。そういった新人に向けて唐木さんは「唐木ゼミ」という社内での新人向けトレーニングを繰り返してきました。
書けない理由は、「遅い」「まとまらない」「伝わらない」のどれか、もしくはそのすべて、と説く本書を読むことで「書く前の準備」の大切さを改めて実感することができます。
この本では「完読される文章が良い文章」であるとしています。
たとえば、「適切な長さで、旬の話題で、テンポがいい文章。事実に沿った内容で、言葉づかいに誤りがなく、表現にダブりがなく変化の付けられた文章。読み手の需要に即した、押し付けがましくない、有用な文章」(17ページ)。ここではラーメンを例にとり、食べきれないラーメンってなんだろう、という身近な話題から完食(完読)を考えています。
構造シートをもとに伝わる文章を書く
そもそも文章は、事実→ロジック→言葉づかいの3つの層から積み上げられています。特にロジックについては、書き始める前に「主眼」と「骨子」を立てることを強調しており、テーマ(主眼)についてなにを(要素)、どれから(順番)、どれくらい(軽重)書くかを決める。主眼と骨子を持つことを、構造的記述と呼んでいます。
本書で紹介されている「構造シート」はぼくも取り入れようと思ったことのひとつ。長いインタビューなどを書いていると、どうしても要素にダブりが生じたり、構成で迷ってしまうことが多かったからです。
構造シートでは、手書きで話題を列挙し、主眼を見定め、順番を考えて番号を振ります。次に別の紙にあらためて決まった主眼を書き、話題を順番に並べ、それぞれに優先度をつけていくというもの。本書ではナタリーの文章を例に紹介・説明されているので、実物を読んでみると良いかと思います。
また、推敲については、意味、字面、語呂の3つの観点でブラッシュアップ、さらには単語、文節、文型、段落、記事レベルで重複チェック。文章のソリッドさについては、「という」と代名詞を削るのが、自分には必要だと思いました。
このほかにもいくつか削るべき言葉や冗長になりがちな表現が挙げられています。「インタビューの基本は『同意』と『深堀り』」(188ページ)の項目も印象的でした。
自分のクセを再確認し、徹底する
ぼくは文章チェックをしてもらうと、ほとんどの場合「〜すること」が多い、と指摘を受けます。これは完全にクセになってしまっているのですが、164ページに「便利な『こと』『もの』を減らす努力を」として書かれていたので、できるだけ具体的な名詞で書くように心がけたいです。
なぜ「〜すること」を多用してしまうのかというと、おそらく英語学科出身で翻訳文体に慣れていたためかなと感じています(これも100ページに「翻訳文体にご用心」という項目があります)。
『新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング』では、基礎的なことが淡々と書き記されています。ただ、本書で挙げられているすべての項目を徹底できているWebメディアは多くないのではないかと思います。
「特別なことはひとつもありません」と書かれたまえがきは、そのとおりでした。文章力の低いぼくにとって、目を背けたい項目もありましたが、それでも一つ一つ向き合っていこうと前向きな気持ちで読み終えました。
唐木さんの経歴や仕事、ナタリーの運営哲学については、「ナタリーがニッチ分野で成長し続ける理由、唐木元さんに全部聞きました。」という記事でよく知ることができます。あわせてご覧になってみてください。
これまで閉じていた「ものづくりの内側」を体験! 毎年1万人が来場する「工場の祭典」はメディア化する場所の好例

新潟県燕三条地域で10月に開催される「工場の祭典」。金属加工の産地として知られる同地域でものづくりが体験できるというまちぐるみのイベントです。ちょっと前になりますが、7月にEDITORY神保町でおこなわれた新潟県三条市 國定勇人市長の話を聞き、とても興味をもちました。
工場開放で意識した2つのこと
「外から人が来たくなる街の魅力の見つけ方、育て方、PRの方法」と題した講演は、まず神保町(本)と三条(金物)のどちらも有名な地域資源があるなどの共通点が語られました。
しかし、三条を訪れた國定さんは、ものづくりのまちにもかかわらず、その匂いを感じなかったといいます。工場が住宅街にあることや、郊外への移転者の多さも、その状態をつくっていた要因になっていたのだとか。
そこで、ものづくりというアイデンティティを再認識してもらい、誇りに思い、人を呼び込もうと考えた市長。一般に開かれていない工場を開放して見せてみるのはどうかと考えたそうです。そんな工場の祭典ではいくつか意識したことがあったようです。
67の工場を解放する上で意識したことの一つとして、期間中はどこでもいつでも体験できることです。時間の制約を付けないことで人を多く受け入れました。二つ目は、工場の目印として、鉄の赤らんだ色と真っ暗な場をイメージしてピンクとグレーピンクのテープを斜めに貼ることで安価にアイコン化を図りました。
これだけ豊かな社会ゆえに人それぞれの価値観があるので、ニッチでディープなファンを大切にすることが、万人受けを目指すより、スピーディに、質のある結果が得られます。結果、オランダ、イタリアからも注目を集め、見に来る人の賞賛の声によりミラノサローネや伊勢、蔦屋への出店に繋がりました。
1万人が来場、半数は県外から
神保町であれば、書店が多く、エンドユーザーが訪れますが、三条では製造者(職人)が多く、エンドユーザーが来る機会や場がありませんでした。そんなエンドユーザーが来場できる工場の祭典。初年度は59の工場が参加し、予約なしで工場見学ができるように設計しました。
しかし、はじめて来た人にとっては住宅街に溶け込んだ工場がどこか、特に祭典に参加している工場の場所はわかりません。そこで、まち全体で来場者を歓迎する意味も込め、グレーとピンクのしましまを目印にしたそうです。写真で見ましたが、まちぐるみで統一しているのが素敵でした。
これらのさまざまな工夫もあり、1年目と2年目どちらも1万人以上が来場、県外からの来場者が5割程度となっていることもすばらしいです(単純計算で1つの工場を150人近くが訪問)。3回目となる今年(10月1〜4日)は、62もの工場が参加するそうです。
新メディア「ぼくらのメディアはどこにある?」を立ち上げてからよく考えるようになった「メディア化する場所」。今回取り上げた工場の祭典はその好例であると感じています。地元・新潟でこんないい取り組みがあることを知れてよかったです。ぜひプロモーション動画もご覧ください。
Tsubame-Sanjo Factory Festival / 燕三条 工場の祭典 from 工場の祭典 - KoubaFes on Vimeo.
「Yesterday's Resources」という小さなニュースレターをはじめました

今日、「Yesterday's Resources」という小さなニュースレターをはじめました。
なんで今さら、と自分でも思うのですが、メディアの輪郭というブログを2年近くやっているなかで、ひとつ悩みがあったからです。
それは海外メディアの動向(「海外」といっても9割以上は米国のそれ)について、書けないことが多かったのです。1日に数十から数百の英文記事に目を通し、そこから数個をピックアップしてブログに書いていましたが、そのほかの多くはどこにも出ることなくスルーされていました。
以前から、自分が目を通した動向はすべてブログに書きたいなあ、と思っていました。もちろん無理ですが。そこで、ニュースレターであれば――自分と近い人やメディアにより関心のある人が購読してくれた場合――多少は可能になるのではないかと考えました。
Yesterday's Resourcesというのは、直訳すれば昨日(過去)の源泉。メディアの輪郭では追いつけなかった、取りこぼしまくっていた海外の動向を共有していきます。読んだ海外記事の紹介をメインに、自分の国内外の取材活動(最近であればオランダ取材の裏話)、買った本(ブログだと読んだ本しか紹介できていないので)なども淡々と力を抜いて書いていけたらと思います。
第一回目は「海外メディアの動向を調べるときの参考メディアとキーパーソンたち」といったテーマで、今日中にはお送りする予定です。この小さなニュースレターから、仮説や違和感をはじめ一見くだらないことを受発信していきたいと思います(更新は不定期です)。もしご関心ある方は、以下より登録ください。
新しいマスの発見か、濃い信者コミュニティか? これからのメディアが生き残るための2つの方向性
これからのメディアのあり方、生き残り方。スマートフォン時代にメディアが成立していたさまざま前提が変容しているなか、お金まわりを含めた(Web)メディアの持続可能性のようなことを最近考えたり、いろんな人と話すことが増えたような気がします。
先月、下北沢の本屋B&Bで若手編集者のトークイベントではバズフィードのような各プラットフォームへの最適化をしてネイティブ広告で収益を上げるメディアかコミュニティが支えるメディアであったり、有料サロンのようなものが有効なのではないか、といったことも話したりしました。
つい先日「佐藤詳悟×佐渡島庸平×古川健介×宇野常寛×【司会】高宮慎一 『クリエイティブの生存条件』」というヒカリエでのイベントを聴きにいったのですが、ここでは宇野さんが「これからのコンテンツはディズニーと地下アイドルに分かれていく」「カルトな固定客の共同体をいかに開くかのゲームをやるか、文化を趣味で消費する人を増やすしかない」と語っていました。
宇野:僕は、文化を必要とする人が減っていく一方だと思う。そうなったときに、カルトな固定客の共同体をいかに開くかのゲームをやるか、文化を趣味で消費する人を増やすしかない、というのが自分の暫定的な結論。 #shibuya2nd
— PLANETS/第二次惑星開発委員会 (@PLANETS_9) 2015, 4月 7
以下、メモの一部を記してみます。
インターネット時代、何に対してお金を払っているのか
インターネット時代、特にスマートフォンが普及してすきま時間にさまざまなエンターテイメントが消費されるようになり、コンテンツ自体へのマネタイズがむずかしくなってきました。一方、音楽業界ではCDよりもライブやフェスなどが好調で、体験にお金を払うようにはなっているのではないか、という視点もよく話題になっています。
佐渡島さんは「インターネット時代には何に対してお金を払っているのか」という問いを立てました。アマゾンのマーケットプレイスを例にとれば、価格ではなく便利さであったり。「『満足』というものに支払っているのではないか。ユーザーの実感値に応じてそれぞれが最大を払うということです」。
佐藤さんは「ネットでは課金のポイントがずれている。金払いが悪くなった部分、よくなった部分もあるのでは」と言っていました。「ソーシャルゲームが急成長して、ガムの売上が下がった」というエピソードから、スキマ時間の奪い合いには限界があるため、娯楽時間よりは、もっと生活に密着なところでの戦いが必要になるとの意見でした。
例に挙げられたのは「自己実現」。古川さんは海外でユーザー課金に成功しているメディアは自己実現を学ぶことができるようなサイトがあり、国内ではスクーがそういうポジションにあたると紹介しました。コンテンツ消費について佐渡島さんは(このメディアやコンテンツでなければいけないと)こだわりのある人は5%くらいで、残りの95%はなんとなく時間をつぶしていると捉えており、自己実現などで時間を奪っていくには参加型がカギだと述べました。「物販だけでは売れない。キャラクターのTシャツを売るなら、たとえば2種類用意して、みんなに投票してもらうなど物販自体を参加や応援、競争意識に変えていく必要がある」。
カルト的なコミュニティはメディアの突破口なのか
今回のイベントでは、「カルト的なコミュニティ」といった言葉が何度か聞かれました。つまり、クリエイターの信者が集まる濃いコミュニティにアウトプットを提供し、お金をもらう、といったマスメディアとは真逆の場所でしょうか。ただ、内輪化・タコツボ化してしまう恐れがあります。佐渡島さんは「タコツボ化したとしても時代のタイミングや普遍性をもってヒットしていくのではないか。その一回で顧客が生まれて、経済圏が発展していくこともありえる」との認識でした。
高宮さんからは、コンテンツをメディアに合わせて最適化する話が出ました。動画ではMCN(マルチチャンネル・ネットワーク)、グーグル時代の検索型の課題解決サイトではnanapiなど。ただ、高宮さんは「コンテンツをつくっても、またSNSごとにつくりかえないといけない」と指摘。サイト向けのコンテンツがそれぞれのSNSにとって最適なかたちでないことがあるからです。
古川さんは海外の動画ニュースサイト「ナウディス」が自社サイトを持たず、ほかのプラットフォームに最適化している事例を共有しました。「今後は1時間の動画をつくってもYouTubeやVineに合わせて自動的に適応するようになると思う。コンテンツをつくった人がこう見せたいというのが通用しない時代になっている」。
「固定ファンを囲うことは作家の表現にとって不幸なこと」
いちばん頭に残ったのは、佐渡島さんがいまの出版社にはコンテンツに興味のある人が入ってきているが、ビジネスモデルをつくった人たちはいなくなっているという点。
あと、佐渡島さんの「正力松太郎の時代は『ビジネスモデルをつくり(中身はさておき)どう売るか』だったけど、いまはコンテンツの中に興味があって入ってくる人がほとんどで、ビジネスモデルをつくった人がいない」ってのは、うわーすげーって、感じた。#shibuya2nd
— Kento Hasegawa (@hasex) 2015, 4月 7
新聞や雑誌は当時のライフスタイルに最適な媒体でありビジネスモデルだとしたら、現在版へとアップデートする必要が生まれてきます。しかし、長らく同じビジネスモデルが通用してきた業界では、しばらくの間は中身をつくる人ばかり集まり、時代に呼応するビジネスモデルを発明できなくなっているのです。スマホのタップさえも面倒な時代というと極端かもしれませんが、現代の暮らしに適応したビジネスモデルやメディアのかたちづくりが早急に必要になってきています。
宇野さんは「新しいパブリックをつくること」が必要と発言。佐渡島さんは「各作家のコミュニティをつくる。それ以上は出てきていない」とまだ答えを出せていないようでした。古川さんは「かなりのコンテンツがコミュニケーションにとられてしまった。すごくおもしろい映画と彼氏からのメールが同じくらいの価値になってきている。ニコ動みたいに文脈と文化が生まれることでコミュニティをつくることが必要」と述べました。
ただ、カルト的なコミュニティでは才能やクリエイティブをつぶす可能性があることも議論されました。宇野さんは「固定ファンを囲うことが作家の表現にとって幸せなのか。不幸なことだと思う」、佐渡島さんも「カルト的なコミュニティからは新しいものが生まれない。ヒット曲をここでも歌ってとか、あの続編を書いてと言うファンだけではダメ」、高宮さんは「一度フォーマットができると、劣化版や類似のものが生まれ続ける。そうなるとクリエイティブの源泉となる作家を前線に出し続けられるかが問われる」とそれぞれの意見を交換しました。
別の角度から佐渡島さんは「映画はもともとはオリジナルに撮影したものだったが、マンガや小説などを原作にするようになってしまった。新人から育てることやクリエイターに危機感を与えるようなことが減ってきている」と現状の課題を提示。たとえば、別の新人が生まれたら、ほかの才能が休んで新しいチャレンジをしたり。「サザンオールスターズが何年も休めていたのは、アミューズがほかの才能を見つけて育てていたから」。才能たちが休んだり非連続な活動、または違う分野の知見を身に付けたりする期間は必要なのかもしれませんね。
ブログはファッション、ニコ動はパッション
新しい才能の発見において、はてなやnoteなど日本のブログサービス/メディアプラットフォームの問題にもつながるという宇野さんは「固有名詞が出てきていない」とその共通点をまとめます。「作品や人物名など固有名詞を出せたのはニコニコ動画。ブログは人単位だが、ニコ動は動画にファンが付いてコンテンツ単位のコミュニケーションが生まれていた。これがヒントになる」。
佐渡島さんはこれに対して「ニコ動はエンタメ分野の発信だったからできていたが、個人単位で同じようなジャンルを発信できる場所があれば変わってくるのではないか」と反論。宇野さんの「人単位でやっている限りコンテンツは鍛えられない。ドワンゴはお客さん(具体的な新しい日本人像)が見えていたのがよかった」という発言を受け、佐渡島さんは「お客さんが見えていることは、コンテンツづくりにとって大きい」と同意。「昔の雑誌では編集長やほかの作家がもっている熱がコンテンツ制作に影響を与えていたが、最近では雑誌からも消えてきている(カラーが弱まっている)」と続けました。また、宇野さんはニコ動ではランキングによってクリエイターの競争意識が生まれていたことが重要だった、と述べました。
佐藤:ニコ動には熱量が見える。 宇野:ブログはファッション、ニコ動はパッション。 佐藤:本気度が結局は大事だと思う。 宇野:ドワンゴは新しい日本人像が具体的に見えていた。彼らは、昔のオタクではなくて、ライトなオタクたちを知っていた。だからあの場は壊れない。 #shibuya2nd
— PLANETS/第二次惑星開発委員会 (@PLANETS_9) 2015, 4月 7
宇野さんは最終的に、「カルトな固定客の共同体をいかに開くかのゲームをやるか、文化を趣味で消費する人を増やすしかない」という結論を出しました。だからこそ、文化を求めていない人にマンガや音楽などのコンテンツとの接点をつくり、楽しんでもらうための施策をひたすら考え続けなければいけなくなってくるのでしょう。佐渡島さんは「世の中が便利になればなるほど、面倒なことや非効率的なことに対して幸せを求めたりする。極端に面倒くさいコンテンツをつくることが挑戦になる」と語りました。
全体を通して、宇野さんが「日本の雑誌は戦後のカルチャー、特に中流のサラリーマンの文化と結びついている。これからは、新しい日本人のライフスタイルに入れこむチャレンジが必要」という旨の話していたことが印象的でした。スマホでのスキマ時間消費がさまざまなメディアのあり方を問い直し、存在自体が揺らいでしまう時代の(ビジネスモデルを含めた)メディアを発明するためのヒントがこのイベントの随所にあったように思います。また、佐渡島さんが準備中の「どんなものにもデータを宿すことができる」新アプリのデモもとてもワクワクするものでした。リリースが楽しみです。
イベントのほぼ全容が気になる場合は以下のTogetterまとめなどに目を通してみるとさまざまな気付きや発見があるかもしれません。
「狙ったターゲットに役立つ情報を届ける雑誌はWebに取って代わる」——紙雑誌生き残りのヒント

『編集会議』2015年春号を読みました。マーケティングに活かす「編集者」的発想法という特集タイトルで、企業のコンテンツマーケティングから雑誌編集長の対談、編集者とライターの打ち合わせ公開、プロの書き手6名のインタビューなど盛りだくさんです。
なかでも紹介したいのは、『Harper's BAZAAR』編集長の森明子さんと『WIRED』編集長の若林恵さんの対談。それぞれハーストとコンデナストというグローバルメディア企業の雑誌としての立ち位置は同じです。二誌にまず共通していたのは、ネタの豊富さ。海外版もあるため、日本にいながら世界中の情報を得ることができるということです。WIREDのウェブ版をみると、おもしろい翻訳記事が多いですよね。
ローカライズする際の工夫として若林さんは1万字くらいあるロングフォームのインタビュー記事をそのまま掲載することを挙げています。「『海外では、こういうスタイルは普通なんだぜ』という、内容だけでなく雑誌としての見せ方も含めて伝えたいんです」という言葉がありました。一方、森さんは掲載時に写真を切り取ったりレイアウトを変えることが厳しい規則があり、結果として海外のものをそのまま伝えるようにしていると別の理由を語っています。
紙とWebの編集体制については、どちらとも同じチームでやっているそう。若林さんは「紙とWebの読者層は、意外とかぶらないんです。極端にいえば、Webで読んだ記事を、雑誌で読んでも同じだと認識しないこともあるんじゃないか」という重要な指摘を示しています。
さらには紙とWebでは期待するほどのシナジー効果はなく、別チャンネルとして割り切っているとのこと。ただ、広告に関してクライアントにとっては両媒体で見せ方を変えて効果を見込むという意味ではシナジーがあると述べています。
ターゲティングについては、「『WIRED』の読者は、『WIRED』に掲載されている情報に興味がある人」と若林さん。「ターゲットを決めてしまうと、誌面の情報が単なるノウハウになってしまう」「"狙ったターゲットに役立つ情報を届ける"という機能性だけの雑誌はWebに取って代わる」といった理由からだそうです。
偶然にも前のページの対談に登場する『SPA!』編集長の金泉俊輔さんも「人間って合理性の高いだけのものに関して、感動したり怒ったりしないんですよ。そのためにも情報コンテンツのつくり手は、常識だと思うものを徹底的に疑ってほしい。常識がひっくり返ったところに喜怒哀楽があります。これは機械にはできない、人間だからできることです」といった発言をしていました。
そのほかにも「読者を信用すること」「若者が雑誌を買わないのは、雑誌を読んだらおもしろかったという体験がないから」など興味深いキーワードが出てきている今号の『編集会議』はおもしろかったです。
コピーできないウェブコンテンツづくりに必要な考え方とは? 『WIRED』創刊編集長ケヴィン・ケリーの視点

(photo credit: Kevin Kelly — photo by Per Axbom via photopin)
雑誌『WIRED(ワイアード)』創刊編集長を務めたケヴィン・ケリー氏によるエッセイ25本を収録した『ケヴィン・ケリー著作選集 1』を読みました。彼はLong Now Foundationの役員を務めていることもあり、長期的な視座をもちながら文章を書いており、インターネット/テクノロジーに関して、さまざまな示唆を得ることができます。
コピーできないものはなにか? その価値とは?
「無料より優れたもの」という章ではじまる本書。コンテンツのコピーもあるネット世界では、コピーできないものが貴重で価値あるものになると唱えます。コピーできないコンテンツ、というのはメディアの議論でよく出てくる言葉。ケリー氏はその例として「信頼」を挙げます。理由は、時間をかけて獲得するものだから。
このようなコピーできない価値を「生成力」と名付け、「種をまき、育てていかなければいけない性質または特性である」と定義しています。具体的には即時性、個人化、解釈、信憑性、アクセスしやすいこと、具体化、後援、見つけやすいこと、という8つのカテゴリーを提示。このように細分化すると、わかりやすいですね。
これらの八つの性質は、新しいスキルを必要とする。無料コピーの世界での成功は、流通に関するスキルからは生まれない。(中略)必要なのは、豊富さが共有という態度を生み出すこと、気前の良さがビジネスモデルとなること、マウスのクリックでは複製できない価値の育成が不可欠であること、などに対する理解である。(26ページ)
「無料コピーの世界での成功は、流通に関するスキルからは生まれない」という言葉が非常に印象的。ではどのようなスキルや姿勢が求められるのか、についても考えられているのがさすがです。第5章「コピーの盛衰」でもわかりやすい例が示されています。
あるものが無料になり、普遍的なものになったとたんに、その価値は逆転する。夜間の電灯が珍しい時代に、普通のろうそくで明かりをとるのは貧しい人たちであった。ところが、電気が普及してほとんど無料になると、電球は安っぽく感じられ、ろうそくはディナーの席で豪華さを示すものになった。(57ページ)
「技術からの贈りものは、可能性、機会、思考の多様性である」
本書は、テクノロジーについての考えかたも多く掲載されています。特に「技術からの贈りものは、可能性、機会、思考の多様性である」という言葉。テクノロジーが人間を向上させるのは、機会の提供によって、さまざまな選択の可能性を広げ、新しい思考とその多様性を生み出していくのです。
テクノロジーの定義についてもさまざま紹介されています。アラン・ケイ氏の「テクノロジーとは、あなたが生まれた以降に発明されたものである」、ダニー・ヒリス氏の「テクノロジーとは、まだ動いてないものである」など、独自の視点でテクノロジーへのまなざしをもっていることは、テクノロジーに関する議論をするうえで改めて重要なのではないかと思いました。
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ウェブメディアは熱さと愛の方向・深さがカギ? 情報があふれるなかで「わざわざ」読んでもらうために

(Photo by Tim de Groot/Creative Commons Zero)
「ブログで面白いのは、何かに対してものすごく『愛』があるか、『憎しみ』があるかがはっきりしている人」
「コンテンツよりプラットフォームの寿命が短い時代にメディアが求められること」という記事で、インフォバーンCo‐CEOの小林弘人さんと日経ビジネス プロデューサーの柳瀬博一さんの共著『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』を紹介しました。今回も少しつづきを。
まず紹介するのは、柳瀬さんの言葉。なにかの書きものが、熱量や愛をもって適切な方法を向いて発せられていると、動かされることが多いように思います。
柳瀬 すべてがつながっちゃった今、ブログなんかで面白いのは、ものすごく何かに対して「愛」があるか、「憎しみ」があるかがはっきりしている人で、俯瞰して解説しちゃうコラムってあまり面白くない。(135ページ)
小林さんは個人には熱さや愛こそが必要であり、そこにお客さんやファンが集まると言います。チームが機能しているか知りたい場合、柳瀬さんは「お客さんが集まっているか」が指標になる、といったやりとりもされていました。
柳瀬さんは大きなメディアコンテンツと対抗できるものとしてのヒントとして、スナック、洋品店、理容店/美容室を挙げています。スナックと洋品店は「チェーン化できない」ということが共通点であり、売り物が商品やサービス以前に「ひと」である、ということです。
このことについて小林さんは、WIRED創刊編集長のケヴィン・ケリーが1000人のコアなファンを集めることができれば食べていけるという理論を引き合いに出していました。これは個人のクリエイターであれば、1000人のコアなファンがいれば活動できる、という考えかたです。サロンやメルマガなどにも言えることでしょう。
スマホやSNSがあたりまえの時代にはタイトルやアイキャッチがトリガーになって記事を読むことが多いかもしれません。しかし同じくらい、誰が書いているのかであったり、そこでしか読めないものに価値を感じることが多くあります。柳瀬さんはこれからのメディアのつくり方について、「熱さの方向性」が切り口になり、最低上限としてその深度が十分かどうか、という熱さと深度を挙げていました。
ぼくはとてもムラがあるほうなので、あまり継続することが苦手です。だから一層、熱量や愛を絶やさず発信し続けられるまわりの人を尊敬しており、継続的に記事を読むようにしています。
「情報がいっぱいあると、人間の行動って多様性を増すどころか、めんどうくさくなって同じ答えに収斂しがちなところがあるよね」
第6章「フリー/シェア以降の新ビジネスモデル」に入ると、小林さんは「マーケティングに長けた人が出てくると、実力が及ばなくても歓迎される」と刺激的な発言。だからこそ、編集者が書き手の発掘や育成にエネルギーを注がなくなったとしています。
柳瀬さんも「情報がいっぱいあると、人間の行動って多様性を増すどころか、めんどうくさくなって同じ答えに収斂しがちなところがあるよね」と同調。SNSのフォローやキュレーションアプリの心地よさで規定される情報収集を超えていくために、なにかしら超えるものがあると改めて感じた部分でした。
たまにウェブからの情報収集をやめて意識的に知らない分野の本や雑誌を読んだり、それらを掘り下げたり、いろんな本屋さんに足を運んでみたり、ゆっくり時間をとって雑談したり——さまざまな方法があるのではないかと思います。
また、ウェブコンテンツはあふれるばかりのなかで、「わざわざ」読んでもらうにはスピードに加えて、繰り返しになりますが、熱量や深度が求められるとのこと。7章にはあえてウェブを遅くする、というスローウェブの話題も登場しています。ワンカラムのウェブメディアやじっくり長文・解説記事を読ませるようなサイトが好きなので共感しました。
「コンテンツよりプラットフォームの寿命が短い時代にメディアが求められること」という記事に続いて、本の内容を紹介しましたが、さまざまな分野を飛び越えた話題を提供し続けながらメディアや編集の本質を問い、人間の性質や特性はなにか、といった大事なことを考える機会になりました。
コンテンツよりプラットフォームの寿命が短い時代、メディアに求められること

(Photo by Matthew Smith/Creative Commons Zero)
『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』という本を読みました。企業のコンテンツマーケティングを手がけるインフォバーンCo‐CEOの小林弘人さんと日経ビジネス プロデューサーの柳瀬博一さんの共著です。
オープンでフラットなウェブ世界が広がったと思いきや、クローズドな空間や濃いコミュニティを求めるようなこともよく見られるようになったいま、スマートフォンの普及とSNSの発展によって「原始時代2.0」が来ているのではないか、と説く内容はさまざまなジャンルの話が飛び交っていて刺激的です。あとがきでも書かれていますが、
この本は古き良き時代と新しい時代が融合した編集入門本です。いくつか印象に残っているところを紹介します。
情報があふれる時代、「文脈」で勝負していくことが重要
まず印象的だったのは、マスメディアよりも、情報にアンテナ立てているまわりの友だちからの情報摂取が多くなってきているということ。SNSの登場によって、マスメディアの情報発信も友だちの情報発信もひとつのアカウントから流れるものという意味では同等です。そんな時代のメディアのつくりかたの例として、柳瀬さんは、『もしドラ』の編集者だった加藤貞顕さんが起業して手がけている「cakes(ケイクス)」を挙げていました。
従来ならば、たとえばウェブマガジンを作る時に読者ターゲットを絞るために、IT系とか、カルチャー系とか、サブカル系って括りを作っていたでしょう。だけど、<ケイクス>はバラバラだ。なぜ?と思って実際に有料読者になってみて分かったのは、ケイクスってロック・フェスなのね。「会期中通しのチケットを買って、好きなところを3、4曲聴ければいい」という感じ。
さらに寄稿者ほぼ全員に共通しているのは、年配の人でも若い人でも、ツイッターやフェイスブックで「友達力の強い人」なのね。個別にみんな客を呼べちゃう。<ケイクス>のブランドと寄稿者のブランドが等価。なるほど、ウェブ時代の媒体設計だな、と。(31ページ)
「会期中通しのチケットを買って、好きなところを3、4曲聴ければいい」という部分に関しては、以前に読んだ「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコム代表取締役の青木耕平さんのインタビューを思い出しました。
「メディアとは何か?」の定義づけから考えました。僕らにとってのメディアとは、まず購入や手続きなどの用事がなくても、読んだり見たりするためだけに来る価値がある。そしてコンテンツを一定の量、源泉かけ流しのようにずっと供給できること。読み切れない量のコンテンツが提供されていなければ胸を張ってメディアとは言えないんじゃないかと考えました。雑誌は一度じゃ全て読み切れないし、テレビも全ての番組を見ることはできない。FacebookもTwitterも、いつ見ても読み切れない量のものが載っているからこそ、時間が空くたびにアクセスしますよね。常に刺激のあるインプットを得られることは、リピートしてもらえる信頼感につながります。
【広報インタビュー】青木 耕平 氏 株式会社クラシコム 代表取締役 - ValuePress! [プレスリリース配信・PR情報サイト]
また、自分たちで得た情報をパッケージ化しているマスメディアが、さまざまなプラットフォームやキュレーションサービスの出現がみられるなか、どのようにマネタイズすればよいのかという話題も。小林さんは、どういう「文脈」で勝負していくかということが重要になると言います。情報の群れに価値を与えること、本書では池上彰さんなどを例に、解説者のような能力が問われる時代になっているとしています。
「実はメッセージは冗長じゃないと後まで残らないんじゃないかな」
コンテンツがパッケージングされずにひとつひとつバラバラになってしまうスマホ/SNS全盛の時代。柳瀬さんは「プラットフォームの寿命のほうが、コンテンツの寿命より短い事例が増えている」という重要な指摘をおこなっています。プラットフォーム事業は初期投資がかかり小回りがきかない一方、それぞれのプラットフォームにあわせることができるコンテンツ制作側は生き残るという考えです。
このことは、「『情報はつねに広がりたがる』とは? メディアの成熟とコンテンツづくりの行方」という記事で書いたことともリンクします。コンテンツのほうがさまざまなメディアやプラットフォームで展開することができる可能性があるのです。
メディア/システム/体系/ルールは成熟の末に朽ちていく性質を帯びていくため、コンテンツの質を上げつづけるしかないという発言もありました。たとえば人気ゲームのキャラクターは、ゲーム以外にも映画やアニメ、おもちゃ、スタンプなどメディアを問わず展開されることも珍しくありません
ちなみに海外では、SNSをはじめとする各ウェブプラットフォームに最適化したコンテンツを制作/流通させることを戦略的に狙うメディアも増えています。ここに関しては、「これからの報道に自社サイトは必要なくなるのか? 脱中心・分散型メディアの可能性」という記事も合わせてぜひ読んでみてください。
といったかたちで、本書には要所でコンテンツ論が登場します。WIRED日本版の創刊編集長でもあった小林さんはコンテンツを「マインドウェア」とも捉えていることも印象に残っています。
単発的にその場のアテンション(注意)だけ引ければいい、というコンテンツもあるかもしれないけれど、そういうものだと残存する時間は短い。実はメッセージは冗長じゃないと後まで残らないんじゃないかな、と思っている。(72ページ)
誰でもオープンな場での情報発信が可能になり、また、誰でも受け取ることができる時代。本書を読むことで、改めてコンテンツとメディア、プラットフォームにかかわる議論を身近な事例や知的な刺激を与えてくれる豊富な知識とともに知ることができます。
流行は20年周期で訪れる/キャラとプロデューサー視点を兼備した強さ
先日、ゲンロンカフェで開催された、 「J-POP IS OVER?――佐々木敦『ニッポンの音楽』刊行記念イベント」に参加してきました。『ニッポンの音楽』を上梓されたばかりの佐々木敦さんに音楽ジャーナリストの柴那典さん、音楽ライターの南波一海さんがJ-POPを語るというもの。
本書のなかのキーワードのひとつである「リスナー型ミュージシャン=他者の音楽のインプットを自分という回路でプロセシングし、自分の音楽としてアウトプットすることが、音楽家としてのアイデンティティの根本にあるようなミュージシャン」についてから話がはじまりました。
リスナー型ミュージシャンのモデルであり、渋谷系や、元ネタ参照のカルチャーがあるヒップホップ。南波さんはリスナー型モデルが徐々にへたっていると語っていました。また、神戸生まれ/育ちのtofubeatsがBOOKOFFで音楽をディグっていたことはユニークなエピソードとして知られていますが、リスナー型ミュージシャンの最後の世代になるかもしれないと発言したこともあるとのことです。
柴さんは昔と今の参照の意味の違いを指摘。渋谷系の時代は、マニアックなものを知っていることが偉い雰囲気だったが、tofubeatsなどになると、みんな知っているようなベタなものを入れてその良さを再確認しようとしているのではないか、と。
佐々木さんは、本の最後を誰で締めるのか考えたという話題にも触れました。本書では中田ヤスタカで終わっていますが、相対性理論やサカナクション、RADWIMPS、AKBといった切り口も選択肢としてあったと言います。柴さんは「ゼロ年代の主人公は誰なのか」というのは大きなテーマであるとし、たとえば、宇多田ヒカルは2010年で活動休止したことから、文字通りゼロ年代とともに、歩みを進め、走りきった存在として挙げました。
続けて柴さんはテン年代の起源が2007年にあるとする説を話しました。初音ミクやニコニコ動画、AKBなどがはじまった/注目され始めたあたり。佐々木さんはしかし、ゼロ年代がまだゆるやかに続いているとも。「流行は20年周期で訪れる」という、ブームを享受した大学生が20年後に社会人で会社のなかで権限を持つようになり、当時に回帰するというものも興味深かったです。
また、柴さんは独自のマトリックスでシーンを位置づけるのもかなり有益なものでした。表象と内面という横軸、全力と洒脱という縦軸。表象と洒脱が渋谷系、全力と内面はロキノン系、全力と表象はアイドル系、しかしながら、表象と洒脱についてはYMOや星野源、坂本慎太郎などがいるが、数は少なく売れるのも難しい象限だとしました。

(このような図だった気がします)
SEKAI NO OWARIがもともと、全力と内面だったのに、メジャーデビュー後の初武道館の際に、「過激派ロックバンドからファンタジーポップバンドに変わる」と宣言。Vo.深瀬氏の「ライバルはディズニーランド」という発言も引用しながら、表象と洒脱という斜め上に突き抜けたという珍しい事象を指摘しました。
キャラ的なウケの視点をもちつつ、プロデューサー的な視点も持ち合わせていることがカギとなっているとのこと。佐々木さんはSEKAI NO OWARIやゲスの極み乙女。など、いまの人気バンドの名前やキャラがエキセントリックな一方で、音楽性はウェルメイドと発言していました。
最後に、南波さんが監修した全国各地のアイドルの楽曲が100曲詰まったコンピが3月10日に発売されます。地方などにも行くなかで、CD-Rのものを買ったり、せっかく聴いても音が小さかったり、バージョンアップしているとうまくなっていたり(なってしまったり)と、フィールドワーク的に集めたものをまとめたかたちで、まさに編集の醍醐味だと感じました。
音楽業界はCDが売れなくなった後の展開や、海外における音楽ストリーミングサービスの隆盛など、めまぐるしく変わる状況を広くコンテンツのあり方や売り方に通じることもあると思い、さまざまな側面から注目しています。モノが売れなくなったときにどのように転換期を迎え、対応していくのか。メディアやジャーナリズムの分野がこれから苦しみそうなことが先に起きている業界として、引き続き、本やイベントなどを通じて勉強していきたいです。
良質な情報消費が良質なメディアコンテンツをつくる? バイラルの先のメディアに問われること

毎号購入しているハイパーローカルなシティカルチャーガイド『TOmagazine』。つい最近発売されたばかりの墨田区特集号も読みました。自分が住んでいない区について独特のアングルで切り取られるディープな内容が好きなのですが、今回はメディアのトピックが掲載されていたのでご紹介します。
KAI-YOUの元ディレクター・武田俊さんの「UPDATE TOKYO」という連載にて、ニューヨーク在住ライターの佐久間裕美子さんと「(バイラルの先の)メディアの未来はどこにある?」というテーマで対談がおこなわれています。
「雑誌は家に届くもので、新聞の延長」
武田さんは先日「『情報はつねに広がりたがる』とは? メディアの成熟とコンテンツづくりの行方」という記事で模様を紹介したイベントでも登壇されており、このときの話ともつながる部分がありました。
記事は矜持を持った編集者が丹念に雑誌をつくり、それが文化を生み出すという武田さんの話からはじまり、佐久間さんは雑誌について「見たことのない世界を見せてくれる窓」と表現。
しかし、雑誌のマネタイズが広告主導になるにつれ、クライアントの方を向いてしまい、読者が置き去りになったとしています。広告モデルが進行しすぎた昨今では『KINFOLK』のような小さなコミュニティに向けた雑誌が出てきたことを紹介。たしかに特定のターゲットに向けた雑誌やウェブメディアは増えているように感じます。
ニューヨーク在住の佐久間さんは日米の違いとして、地理的な問題もあることから、アメリカのほうが定額購読モデルが普及しており、本文では「雑誌は家に届くもので、新聞の延長」とも語っています。
「読者や消費者もその消費の仕方でものづくりに加担している、しないといけない」
その後、話題はバイラルメディアに移り、武田さんはバイラルメディアのシーンは3年で淘汰されるけれども、それらがもたらすディストピアを防ぎたいと言います。
ただ3年の間に、15歳のスポンジみたいな感性の少年が18歳の青年になっちゃうんですよ。その間に触れた情報がバイラルメディアやニュースアプリ経由のものばかりだったら、コンテンツの価値自体がさらに無視される方向にぶれちゃう。(167ページ)
佐久間さんもこのような受動的な情報消費のスタイルでは、プッシュ通知やレコメンド、サジェスチョンのなかにとどまり、新しいものや素敵なものと出会うことができない、と語っています。実社会では「賢い消費者(スマートコンシューマー)」という言葉が叫ばれた時期もありましたが、バイラルメディアやニュースアプリを対象としてもこの言葉は当てはまりそうです。
しかしながら、ウェブメディアでもマネタイズは広告モデルが先行しているので、そこにどのように編集者がかかわっていくのかということもテーマのひとつ。佐久間さんは「Webとコマーシャルの世界に対して、うまく立ち回らないといけない」、武田さんは「メディアコンテンツに携わる人間がもっとコマーシャルの世界をハックすべき」とそれぞれ語っています。
バナーやネイティブ広告だけでなく、コミュニティ、ひいては新しい文化をつくりながら、定額購読でメディアを運営するモデルが理想的なのではないかと思いました。現状のメディアコンテンツの流通や消費の仕方の揺り戻しとして、定額購読に挑戦するメディアや編集者は増えていくのでしょう。
対談の最後のほうには、佐久間さんは「読者や消費者もその消費の仕方でものづくりに加担している、しないといけない」という言葉を、武田さんは「メディアを通して僕は粋な消費者を増やしたい」という言葉を残しています。
バイラルやソーシャルがコンテンツ流通のひとつのルールにもなりつつあるなかで、ここをどのようにうまく使っていくのか、もしくは完全に逆張りでコンテンツづくりをしていくのか。あらためて、メディアコンテンツにかかわる人の立ち位置や姿勢が問われているように感じました。
さて、TOmagazineの墨田区特集に関係のない部分を紹介してしまいましたが、メディアに興味がなくとも、先日、歴代最多優勝記録を更新した白鵬関のインタビューや、「祭りが生まれる時」「欲しくなる、墨田区。」といったページもたいへんおすすめです。
ビル・ゲイツ氏がテックメディア「The Verge」初となるゲストエディターに就任

(The Vergeの動画より)
新興メディアテクノロジー企業「Vox Media」の運営するテックメディア「The Verge」が初となるゲストエディターとしてビル・ゲイツ氏を招聘することを発表しました。
2月限定でゲストエディターとしてかかわるゲイツ氏とThe Verge編集長との対談動画もさっそくアップされています。ゲイツ氏はこれまでもテクノロジーやサイエンスが人々の暮らしをどれだけ変えていくのか、とくに世界の貧富の格差をどれだけ改善したのかに関心を寄せていました。
具体的には、編集スタッフらといっしょにゲイツ財団で毎年発行している年次書簡の2015年版のテーマである健康、教育、食、銀行などに関するものを取り上げていく予定。どれも途上国の課題にかかわることなので、テクノロジーやサイエンスがどのように現状を変えているのか知ることができることでしょう。
また、「The Big Future」という未来志向の映像特集の一部のナレーションも担当するとのことで、編集以外のコミットの仕方も興味深いです。
過去には雑誌『WIRED』のゲストエディターも務め、途上国の諸問題を解決に導くイノベーションを特集したこともあります。日本でもさまざまなウェブメディアがゲストエディターを設置する動きが増えるとメディアの姿勢を色濃く見せたり、特集を遠くまで届かせることができるのかもしれません。