メディアの輪郭

更新するだけ健康になれる気がしています

流行は20年周期で訪れる/キャラとプロデューサー視点を兼備した強さ

先日、ゲンロンカフェで開催された、 「J-POP IS OVER?――佐々木敦『ニッポンの音楽』刊行記念イベント」に参加してきました。『ニッポンの音楽』を上梓されたばかりの佐々木敦さんに音楽ジャーナリストの柴那典さん、音楽ライターの南波一海さんがJ-POPを語るというもの。

本書のなかのキーワードのひとつである「リスナー型ミュージシャン=他者の音楽のインプットを自分という回路でプロセシングし、自分の音楽としてアウトプットすることが、音楽家としてのアイデンティティの根本にあるようなミュージシャン」についてから話がはじまりました。

リスナー型ミュージシャンのモデルであり、渋谷系や、元ネタ参照のカルチャーがあるヒップホップ。南波さんはリスナー型モデルが徐々にへたっていると語っていました。また、神戸生まれ/育ちのtofubeatsBOOKOFFで音楽をディグっていたことはユニークなエピソードとして知られていますが、リスナー型ミュージシャンの最後の世代になるかもしれないと発言したこともあるとのことです。

柴さんは昔と今の参照の意味の違いを指摘。渋谷系の時代は、マニアックなものを知っていることが偉い雰囲気だったが、tofubeatsなどになると、みんな知っているようなベタなものを入れてその良さを再確認しようとしているのではないか、と。

佐々木さんは、本の最後を誰で締めるのか考えたという話題にも触れました。本書では中田ヤスタカで終わっていますが、相対性理論サカナクションRADWIMPS、AKBといった切り口も選択肢としてあったと言います。柴さんは「ゼロ年代の主人公は誰なのか」というのは大きなテーマであるとし、たとえば、宇多田ヒカルは2010年で活動休止したことから、文字通りゼロ年代とともに、歩みを進め、走りきった存在として挙げました。

続けて柴さんはテン年代の起源が2007年にあるとする説を話しました。初音ミクニコニコ動画、AKBなどがはじまった/注目され始めたあたり。佐々木さんはしかし、ゼロ年代がまだゆるやかに続いているとも。「流行は20年周期で訪れる」という、ブームを享受した大学生が20年後に社会人で会社のなかで権限を持つようになり、当時に回帰するというものも興味深かったです。

また、柴さんは独自のマトリックスでシーンを位置づけるのもかなり有益なものでした。表象と内面という横軸、全力と洒脱という縦軸。表象と洒脱が渋谷系、全力と内面はロキノン系、全力と表象はアイドル系、しかしながら、表象と洒脱についてはYMO星野源坂本慎太郎などがいるが、数は少なく売れるのも難しい象限だとしました。

f:id:kana-boon:20150206205151p:plain

(このような図だった気がします)

SEKAI NO OWARIがもともと、全力と内面だったのに、メジャーデビュー後の初武道館の際に、「過激派ロックバンドからファンタジーポップバンドに変わる」と宣言。Vo.深瀬氏の「ライバルはディズニーランド」という発言も引用しながら、表象と洒脱という斜め上に突き抜けたという珍しい事象を指摘しました。

キャラ的なウケの視点をもちつつ、プロデューサー的な視点も持ち合わせていることがカギとなっているとのこと。佐々木さんはSEKAI NO OWARIゲスの極み乙女。など、いまの人気バンドの名前やキャラがエキセントリックな一方で、音楽性はウェルメイドと発言していました。

最後に、南波さんが監修した全国各地のアイドルの楽曲が100曲詰まったコンピが3月10日に発売されます。地方などにも行くなかで、CD-Rのものを買ったり、せっかく聴いても音が小さかったり、バージョンアップしているとうまくなっていたり(なってしまったり)と、フィールドワーク的に集めたものをまとめたかたちで、まさに編集の醍醐味だと感じました。

音楽業界はCDが売れなくなった後の展開や、海外における音楽ストリーミングサービスの隆盛など、めまぐるしく変わる状況を広くコンテンツのあり方や売り方に通じることもあると思い、さまざまな側面から注目しています。モノが売れなくなったときにどのように転換期を迎え、対応していくのか。メディアやジャーナリズムの分野がこれから苦しみそうなことが先に起きている業界として、引き続き、本やイベントなどを通じて勉強していきたいです。