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これからの「いい情報」とは何か? 共有・アクセスできないような情報に漂う色気

情報に溺れないためには、「欲しい情報は何か」を知ること

真似のできない仕事術を特集した『BRUTUS』2015年6月1日号を読みました。漫画家の小山宙哉さんやジャーナリストの田原総一朗さん、俳優の山田孝之さん、建築家の藤村龍至さんなど10名以上が取り上げられていました。

インタビューで重要なことについて田原さんが「想像を超える発言を引き出せるか」と言っているのはいつも体現していると思いつつ、情報術について語っている箇所も印象的でした。

どうでもいい情報に振り回されると情報に溺れてしまう。溺れないようにするには、まずは、"欲しい情報は何か"を知ることなのでは。そして、一次情報をたぐり寄せる。これに尽きる。(中略)一次情報を捕まえるのはいつも命懸け。だから面白いんです。(31ページ)

「共有できない、アクセスできない、意識的に閉じていく情報に色気を感じている」

高城剛さんらを教え子にもつことでも知られるメディア美学者の竹邑光裕さんは、いい情報について語っていました。いい情報とは色気がある。ただ、情報の色気を感じるには、感度が求められます。 

人は受信装置。求める人だけに、不思議とピッと入ってくるのが情報で、感度を高めるというのは、自分が何を求めているかはっきりさせることですね。(中略)あらゆる情報がオープンでコモンズになりつつある時代だからこそ、共有できないとか、アクセスできないとか、意識的に閉じていく情報に色気を感じています。(32ページ)

情報収集には、人が欠かせないとも発言しており、人を介した情報の確度やコンテクストがあることで色気を帯びてくるのではないかとしています。

圧倒的に刺激を受けるのは何かのために作られていないもの

また、音楽家の渋谷慶一郎さんの「いい情報とはなにか」に対する返答も本質的でした。

圧倒的に刺激を受けるのは何かのために作られていないものです。ただそれだけで存在しているもの。アートでも音楽でもそういうものが減ってきているけど、僕自身はそこしか反応しない。だから情報は良いも悪いもなくて、自分との距離と濃度だけが問題なんですよね。(41ページ)

Webメディアなんかにおいても、過度に読者(の環境)に寄り添いすぎていたり、マーケットインで考えられすぎているようなコンテンツも溢れるようになっているなかで、「ただそれだけで存在しているもの」という考えは少し意識したいところでした。

何かのためにつくっていないから、受け手の能動性や感受性が求められる。そんなコンテンツが増えると、いち読者としても情報収集が楽しくなりそうです。個人的に、今年はネットからの情報収集を意識的に減らし(正確には受動的でも入ってくる状態を整えた)、書店や紙媒体、人づてなどを通じた情報収集のほうが多くを占めるようになりました。さらに後者を強めていきたいと考えています。