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Vice Mediaはなぜ「ハリウッドインサイダー」になれたのか? 急成長を支えたもうひとりの立役者、Tom Frestonの数奇な運命

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(photo credit: Stream London 9 November 2011 via photopin (license)

この記事は、橋本英明さん(フジテレビジョン コンテンツ事業局)によるMediumへの投稿「Tom Frestonの数奇な運命とViceの成長」の転載です。ジャーナリズムやCEOのパンクさが注目されがちなVice Mediaがいかにして、巨大メディアエンターテイメント企業に成りえたのか。その影の立役者についての7000字以上のレポートです。

Vice Mediaはいかにしてハリウッドインサイダーになれたのか

Vice Mediaを語る時、過激な描写・危険な地域からのレポート、あるいはShane Smithの言動がなにかと表に出てきがちです。しかし、当たり前ですが、それだけではありません。

ここで注目しなければならないのは、モントリオールから生まれたパンク雑誌が、どのようにしてここまで大きなメディアエンターテイメント企業になれたか。この点が重要だと思っています。

それは、もちろんCEOのShane Smithの手腕もあると思いますが、個人的に注目したいのは、Vice Mediaがどうやってハリウッドインサイダーになれたのかということです。

ご存知の通り、Vice MediaはShane Smithだけによって創り上げられたわけではありません。それは、彼が3人の共同創業者のひとりであるという意味だけでなく、Vice Mediaがハリウッドインサイダーになれた立役者がいるということ。

そしてその人物こそが、今回注目したいTom Freston(以下Freston)という人物なのです。

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(左:Shane Smith、右:Tom Freston/Getty Images

もしTom Frestonを知っているとしたら、メディアエンターテイメントビジネスにかなり詳しい人だと思います。なぜなら、彼はケーブルテレビ黎明期に音楽専門チャンネルMTVの立ち上げに関わり、CEOを務めた後には、親会社のViacomのCEOも歴任した人物だからです。

そして、その後Vice Mediaにアドバイザーとして関わったことが、Vice Media躍進の大きなキッカケになったのではないかと思っています。それは例えるなら孫正義にとっての笠井和彦の関係のように。FrestonもShane Smithの参謀として、重要な局面で色んな助言をしたことが、今のViceの成長を支えたのではないか。そういう風に思っています。

そんなTom Frestonの数奇な運命とViceの成長について、書いてみます。

カブールからケーブルへ

Tom Frestonは、いきなりメディアエンターテイメント業界で働き始めたわけではありませんでした。MTVに関わる前に、実はメディアエンターテイメントと関係ない仕事をしていたというのも面白いです。

Frestonはニューヨーク大学MBAを取得後、Benton&Bowlesという広告代理店のアカウントエグゼクティブになりました。しかし、24歳で突然辞めてしまい、放浪した末にカリブ海の周辺でバーテンダーとして働き始めます。そして、その後インドに旅立ち、ニューデリでアパレルビジネスを立ち上げたところ、経営の才覚があったのか、インドやアフガニスタンの衣服を米国・ヨーロッパ・南アフリカの小売店へ卸す事業は好調だったようです。

しかし1970年代、貿易法の改正によって、自ら立ち上げた会社を強制的に閉鎖しなくてはならなくなり、米国への帰国を余儀なくされてしまいます。そして、彼はビルボード誌に掲載されていたミュージックビデオを放送する音楽チャンネルを立ち上げる人材の募集広告を目にします。つまり、これがMTVの採用広告でした(正確にはMTVを立ち上げようとしていたWarner-Amex Satellite Entertainment Company:WASEC)。

1980年、FrestonはMTVのマーケティング担当ディレクターに起用され、MTVの認知拡大のために奔走します。全米を駆け巡って放送してくれるケーブルテレビ局を開拓し、放送するためのミュージックビデオをレコード会社から調達していました。そして1981年にいよいよMTVが放送開始、ご存知の通り若者からの絶大な支持を獲得していきます。

伝説となったI Want My MTVキャンペーン 1984 I Want My MTV Commercial (1) from David Hale on Vimeo

Frestonは、その後営業担当・編成担当となって引き続きMTVの事業拡大に貢献。1984年にはMTVの親会社であるWASECは、好調だったMTVを主軸に自らをMTV Networksとしてリブランド/スピンオフ化し、同じくWASECが立ち上げた子ども向けチャンネルのNickelodeon(1979年開設)や音楽専門チャンネルVH1(85年開設)を束ねていきます(このタイミングでAmexはこの事業から手を引くことになり、親会社はWarner Cableとなります)。

しかし、好調に推移していた世の中のイメージとは裏腹に、80年代半ばには売上が減少に転じてしまいます。その結果、1987年にWarner CableはMTV NetworksをViacomに売却、ケーブルテレビ事業に注力することになります(ちなみにWarner Cableの末裔がTime Warner Cableであり、今Charter Communicationsに買収されるという話が出ています)。

Viacom傘下になった後もMTV Networksに残った数少ない役員だったFrestonは、1987年にMTV NetworksのCEOに就任します。そして就任するなり広告営業部門を改組、自ら営業部門と編成部門の橋渡し役となり、翌年40%以上売上を伸ばします。

その後、FrestonはMTVの海外戦略も加速させ、2003年にはMTVの全売上の80%以上が海外という比率まで高めることになります。これに加えてMTV Networksの事業の多角化も積極的に推進。具体的にはアニメーション製作(『Beavis and Butt-head』『SpongeBob SquarePants』『South Park』『Rugrats』など)や劇場映画製作、デジタル事業などを推進しました。また、編成のセンスも研ぎすまされていて、2002年にオジー・オズボーン一家を起用したリアリティ番組The Osbournes』の立ち上げを承認して、後にMTVのドル箱番組へと成長させていきます。

そして前任者の退任を機に、Frestonは遂にViacomのCo-President & Co-COOに就任(2006年にViacomCBSが分離したのを機にViacomのCEOに就任)し、MTV Networksだけでなく、Paramount Picturesなどを含めたマネジメントを担当していくことになります。

しかし、順調にメディアエンターテイメント界でのキャリアを積んできたと思いきや、数奇な運命はまだ続くのでした。

MySpace買収失敗、そしてViacomからの追放

まだ、FacebookTwitterInstagram、Snapchatがなかった時代。

Tom Frestonは急成長中だったMySpaceを買収しようと動いていました。しかし、ご存知の通り、MySpaceはRupert Murdoch率いるNews Corporationに5.8億ドルで最終的に買収されてしまいます。このことは、2005年7月の話です。

実はMySpaceの買収はViacomが話をかなり進めていて、世の中的にはViacomが5億ドルで買収するんだろうという風に思われていました。実際のところ、Viacomが抱える若者向けのメディアとMySpaceという組み合わせは相性も良く、Frestonの中のシナリオとしても、MySpaceを中心に据えてViacomの存在を再定義しようとしていました。

そんな中、抜け目ないRupert Murdochは、ある週末Frestonが休暇でハワイに訪れている隙に、MySpaceを運営するIntermixをある部屋に缶詰にして交渉を重ね、土壇場で契約を結んでしまったのです。すごい話ですね。

その顛末としてFrestonはViacom会長でメディアエンターテイメント界の重鎮Sumner Redstoneに解雇されてしまいました。もっとも、Viacomはこの時にMySpaceを買収しなかったおかげで大きな損失を出さなくて済んだとも言えますが。もちろん、歴史に「もし」はないのですが。しかしながら、休暇中にこんなことが起きるなんて、なんという悲劇でしょうか・・・。

ちなみにSumner Redstoneは、現在91歳にして、今なおViacomCBSの会長。つまり読売新聞グループ本社代表取締役会長の渡邉恒雄よりも年上で、もしかしたら世界のメディアエンターテイメント企業の現役エグゼクティブで最も高齢なひとりかもしれません。

Viceの動画事業の礎となった共同出資会社VBS

この解任劇が起きる少し前に、Tom FrestonはViceが動画事業に参入したいということを耳にします。

2005年にYouTubeが創業、2007年にHuluが立ち上がり、各社が動画配信プラットフォームに投資している中で、ViceのShane Smithらは「動画プラットフォームが普及したタイミングで、必ずコンテンツが必要なる」と考えていました。そしてTom Frestonはこの発言に共鳴します。というのも、Freston自身もケーブルテレビ黎明期に、土管はあっても流すものがない時代を知っており、その流れに乗ってMTVが爆発的に広がったことを知っていたからでした。

“Everyone was spending all their money on platforms but none of it on what you put in the pipe. So we said, Okay, eventually the market’s going to catch up, and everyone's going to need content.”(Shane Smith)

今後5年でウェブ対応のテレビの世帯普及率が50%を超える。そうなった時に、また流すものが必要になる時代が来る。

Viacomは、2007年の時点で売上が2800万ドルだったViceと共同出資会社を設立し、VBS.tvというオンライン動画ネットワークを立ち上げ、短尺のドキュメンタリーやルポタージュを、世界でもっとも危険な場所で撮影して届けることを考えます。

そしてクリエイティブディレクターにはSpike Jonzeを起用し、VBS.tvで初となるドキュメンタリーシリーズ『The Vice Guide to Travel』の製作を進めます。キャストはShane Smithも自ら出演する中で、『Jackass』でおなじみのJohnny Knoxvilleらも出演し、北朝鮮アフガニスタンなど、世界の危険地帯からストーリーを届けていきます。つまり、今のVice Mediaの動画のイメージは、すべてこれを起点にして作られたものになるんです。

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The Vice Guide to Travelより)

ちなみにこれは推測ですが、Shane SmithとSpike Jonzeを引き合わせたのは、MTV時代からSpike Jonzeと付き合いの多かったTom Frestonだったんじゃないかなという気がしています。Spike Jonzeは、まさにMTVの申し子。Beastie BoysChemical BrothersFatboy Slimなどのミュージックビデオを撮り、世界でもっとも面白い番組(と私が思う)『Jackass』を撮っています。そして前述のJohnny Knoxvilleも『Jackass』が放送されてブレイクした人物。この辺のキャスティングは、Tom Frestonの人脈の為せる業なんじゃないかなと思います。たぶんですが。

リベンジ、そしてハリウッドインサイダーへ

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(VBS.tv via Freebord_photos’s Bucket)

VBSでメディア企業として先進的な動きをしているなかで、前述の通りFrestonに悲劇が起き、後にSumner Redstoneに解雇されてしまいます。しかしおもしろいのはここから。このタイミングに合わせて、ViceはVBSの株式をViacomから買い取り(金額非公開)、なんとFrestonがViceのアドバイザーに着任したのです。

MySpaceの買収失敗があったとしても、それを帳消しにできるくらい、Tom Frestonはメディアエンタテイメント界で最も経験豊富な経営者のひとりだったと思います。そんな人が他のメディアエンターテイメント企業のCEOに就くのではなく、Viceのアドバイザーになることを選ぶということは、ちょっと普通じゃないような気もします。それだけ、Viceの未来が見えていたのかもしれません。実際FrestonはViceのその後の戦略作りに大きな役割を果たしていきます。

VBS.tvは、その後Viceland.comと統合されてVice.comとなり、今私たちが知るViceの動画事業の土台となります。これにより、Viceはバーティカルな動画チャンネルを次々と立ち上げていくことができました。例えば音楽に特化したNoisey、テクノロジーに特化したMotherboard、アートに特化したThe Creators Projectが立ち上がり、それぞれに1社から4社ほどのスポンサーがつきました。

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旧来型のマーケティング手法だと若年層に届かないというクライアント側の課題があり、その一方ではVice.comに広告掲載されてエログロなコンテンツと一緒になって困るというメディア側の課題もありました。そこで前述の通り、Vice.comと付かず離れずのバーティカルメディアを作り上げました。これはまさにケーブルテレビの専門チャンネルの立ち上げ方とまったく同じことで、Frestonがケーブルテレビ黎明期以降ずっとやってきたことなんです。

そして2011年、Frestonは自らViceに資本参加し、世界最大規模の広告代理店WPPとThe Raine Group(Goldman SachsUBSの元パートナーが立ち上げたメディアエンターテイメントに特化した投資グループ)からの調達をお膳立てし、ハリウッドの4大エージェンシーで最古のWilliam Morris Endeavor(WME)と代理契約を締結します。これがまさにVice Mediaが「ハリウッドインサイダー」になった瞬間だと言えるかもしれません。

米国のメディアエンターテイメント界は、よくも悪くもハリウッドを中心とした狭いコミュニティーですべてのディールが決められていきます。脚本はハリウッドに集まり、それを撮る人も出る人も、スタジオもエージェンシーも、それをサポートする保険会社も投資会社も法律事務所も、人材育成拠点としてのフィルムスクールも、全部南カリフォルニアに集中しています。このコミュニティーに入らないと、良いディールにありつけることが難しいといっても過言ではありません。

大型調達、共同出資会社設立、快進撃はつづく

さて、この調達以降、2012年にYouTubeが1億ドルを用意して始めたOriginal Channel Initiativeに採択され(ここからMaker StudiosやFullscreenやTastemadeが一気に立ち上がります)、2013年にHBOと契約して番組の提供を開始。同じく2013年にはTom FrestonをViacomから追いやるキッカケを作ったRupert Murdoch率いる21世紀FOXが、Viceの株式の5%を7000万ドルで取得します。

2014年、A&E(DisneyとHearstの合弁会社)から2.5億ドル調達、カナダ通信大手Roger Communicationsと1億ドルの共同出資会社を設立、21世紀FOXとVice Filmsを共同設立して劇場公開作品の製作を推進、HBOとデイリーのニュース番組の製作を発表、A&E傘下のケーブルチャンネルをリブランド化してViceの名前を冠した新しいチャンネルの立ち上げ。そんなに風に快進撃が続きます。

そして、そのキッカケを作った人、それがTom Frestonだったんです。何か大きな動きがある時、強烈な個性を持った人の影でそれを支える人がいる。そんなお話でした。

 

<参考>

http://www.forbes.com/sites/jeffbercovici/2012/01/03/tom-frestons-1-billion-revenge-ex-viacom-chief-helps-vice-become-the-next-mtv/

http://www.hollywoodreporter.com/news/vices-shane-smith-tom-freston-434990

http://www.referenceforbusiness.com/biography/F-L/Freston-Tom-1945.html

http://www.theguardian.com/media/2013/aug/17/rupert-murdoch-vice-magazine-stake

http://en.wikipedia.org/wiki/MTV

http://en.wikipedia.org/wiki/Warner-Amex_Satellite_Entertainment

<橋本さんのMediumはこちら>

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